南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

コロンビアのコンサートで感じたこと

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2017年2月、コロンビア短期研修中に書いた文章。

ある日、大学内で毎週火曜日に行われているコンサートに行った。

その日は、プロか何なのかよく分からないが、カリブ音楽とコロンビア音楽のコラボ音楽のようだった。

 

打楽器や弦楽器などから奏でられる多様な音色をバックに、60代くらいの黒人の男性歌手やラテンっぽい女性歌手が腹から大きな声を響かせている。

 

ステージを見ると、ヤマハのエレクトーンがある。

あの人たちが来ている服は、つけている眼鏡は、その他の楽器は、どこで作られたものだろう。

何気ない日常の風景は、どこかの誰かが発明したもの・作ったもので溢れている。

私の左腕にはバンコクで貰った2つのブレスレットが巻いてあるし、ズボンは恐らく中国で作られたものだ。何気ない空間に世界が凝縮されている。こんなこと、大昔は考えられなかったに違いない。

 

コンサートは、演奏者が観客を巻き込んで大盛り上がりを見せた。

老若男女が音楽に合わせて体を揺らしたり手拍子を叩いたりして楽しんでいた。

本当に楽しそうな笑顔を浮かべている人たちも何人もいる。日本ではこれほどまでは盛り上がらないだろう。

 

私は疲れが溜まっていたこともあってノリノリになることはできず、感情に素直にその場を楽しむ彼らに対し、羨望の念を覚えずにはいられなかった。

ふと周りを見渡すと、テンションの高いコロンビア人だけではないことがすぐに分かった。無表情で手拍子を打つ者、席に座ったままただステージを眺める者、つまらなさそうにしている者など、案外たくさんいるではないか。

 

ラテンアメリカは陽気なイメージが強いが、日本人の皆が勤勉でないのと同様に、皆が陽気というわけではない。また当然ながら、陽気な性質があっても常にそうであるわけでもない。日本と変わらない。無意識に思考停止して画一的に見てはいけない。自分らしく、そのときの自分らしくいればいい。

 

コンサートで周りの人たちがノリ良く踊っているのを見て、しかし自分は踊る気になれないことに劣等感を抱いたのかもしれないし、或いは己の根本的な性質なのかもしれないが、踊らされるのではなく踊りたい、踊らせたい、寧ろステージに立ちたいという思いが募るのも感じた。踊らされるのは屈辱でもある。プライドが邪魔しているのだろうか。

 

楽器は言葉のようなものである。同じ楽器なら、奏で方は万国共通。

スポーツもそう。ルールという名の言語を理解していれば、言葉が通じなくてもどこででも一緒にサッカーができる。

音楽もスポーツもダンスも、人間の本質的なもの。

だから、それをツールにすれば、地球の裏側の人々とでもその場を共有することができる。

コロンビア滞在中、それらの威力には感動を覚えたものであった。

 

 

 

 

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