南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

心の声を聴く

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(2017年12月に執筆)

 

 

「ラーメンか寿司、どっちがいい?」


もう3年半以上も前になる。

特に目的地を定めずに大阪の街を歩いていたとき、昼食を摂る場所を巡って、一緒にいた友人にそう尋ねられた。

 

私はどっちでも良かったので「どっちでもいい」と返した。

すると彼は、「どっちでもいい、じゃなくて、自分の好きな方を言った方がいいよ」的なことを言った。

 

確かに、提案する側としては、相手の返答が明確である方がやりやすい。

この場合も、私はこの問いに対して真剣に向き合えば、自分の意思でどちらかを答えることが出来ただろう。

 

 

欧米では、他者に合わせることを美徳とする日本に比べ、明確にイエスやノーと答える傾向が強いとはよく言われる。

一つ一つの選択を他者に委ねるよりも自分の意思で決めることでその癖を身に付けるためには、たとえそれが小さな選択であったとしても大切なのかもしれない。

 

「どっちでもいい」ではなく自分の意思を示すことが良いという風潮は好きではない。

例えば、1年後の朝食、パンかコメのどちらが良いかと問われて明確にイエスかノーと答える根拠はない。

 

同様に、どうでもいいこと、取るに足りないことに対しては、経験を重ねるにつれ、拘りがなくなっていくものだ。

小さな頃、大人はどうして皿に余った食べ物を私に譲ってくれるのだろう、という疑問を素朴に感じていたが、今になってみると、それは彼らがそれまでの人生でそれらを既に沢山食べてきたことによって、その食べ物に対する拘りが薄れていたからなのだと思う。

 

大人になるにつれて、人は他者に合わせること、場の空気に従うことを学んでゆく。社会に生きる上で、確かにそれが大切な場面もままある。

しかし、本心から「どっちでもいい」と思えるわけでないのなら、自分の胸に手を当てて、自分は本当はどっちがいいのか考えて選択することには、意義があると思う。

 

 

本当に自分で納得感を以て選択しているのか、分からなくなる前に、子供なら生来皆持っている、自分の心の声を聴くという癖を忘れないように。そしていつまでも自分の心の声を聴いていられるように。

 

 

 

 

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