南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

発想を環境で変えてゆく

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至極当然と見なされるであろうことを、自分なりに書く。

 

 

デキる人間が周りにいると、自分も奮起して引き上げられる。

(何を以て"デキる"とするかは本人次第だが)

 

例えば、中学3年の春頃にやってきた転校生は、日本有数の進学校であるN高校を第一志望として勉強を頑張っていた。

私はそんな彼に触発されて、N高校やTDJ学園を視野に入れたことがあった。

 

結局一過性のものではあったが、彼がそれまで県内の高校しか視野に入れていなかった私に大きな刺激を与えてくれた(私が刺激として受け取った、とも言える)ことは確かである。

 

中学3年生の頃はと言うと、高校受験のために勉強熱心だったのだが、そのモチベーションを支えていた要素としては、同じ志望校の友人らに負けたくないという思いが大きかった。

 

定期試験や実力試験、学習塾の試験などで似た様な成績を取るライバルたちがいた。

そいつらには絶対に負けたくないと思っていた。

 

ちなみに大学受験では、周りはデキる奴が多かったにも関わらず、あまりモチベーションを維持できなくなって勉強しなくなってしまったのだが、同じ志望大学且つ志望学部の人間が居なかったことも多少は関係があると思う。

 

その一方で、デキる人間、ある基準において自分より優位な立場にいる人間が周りにいると、妬みを覚える人間がいる。

妬みを原動力に奮起するならまだしも、妬むだけで終わってしまう人間がいる。

 

そんな人間は一定数いる。

そんなつまらない人間は、それまでの器だ。

 

他者の幸福を見て、「よし自分もハッピーになれるように頑張ろう」と上昇するのではなく、「不愉快だ。引きずり下ろしてやろう」と下降させにくる、そんな足を引きずるタイプと付き合っていても、疲弊するだけだ。

 

そんな人間は、井の中の蛙のままでいるのが幸せだろう。

 

 

そうでない人間、高みを目指したいと思える人間なら、より成長できる環境に飛び込んだ方がいい。

 

 

人は自ずと、無意識のうちに、周りにレベルを合わせてしまう。

 

周りが10なら自分も10くらいでいいや、ということになってしまう。

 

別にそうした現状維持で自分は満足、というのならそれでいいかもしれないが、もっと視野を拡げて羽ばたいていく方が、人間らしくて素晴らしいと私は思うのだ。

 

何故なら生命は、常に進化してきた。

活動領域を拡げてきた。

未知なる領域に勇気を出して踏み入れてきた。

 

それはある程度は必要に迫られてのことかもしれないが、人間生来の好奇心に依るものも大きいはずだ。

 

 

周りが10を目指している中で、20や30を目指すのは難しい。

まず、その発想が湧きにくいからだ。

 

難関大学に入るために進学校に入ろうとするのは、何もレベルの高い授業や受験関連の情報を得るためだけではない。

 

同じようなところを目指す人たちと刺激を与え合って高め合っていくためということの方が重要なのだと思う。

 

先の例で言えば、私はN高校志望の転校生の登場により、「県内の高校」以外の選択肢を初めて意識した。

 

外部刺激による発想の拡張である。

 

人が何重もの風船の一番内側にいて、自分を直接包む風船の範囲内でしか物事を考えられていないとすると、その刺激によって内側の風船が割られたようなものだ。

 

ギネス記録は腐るほどあるが、例えば水中で息を止めた時間の最長記録は22分と登録されているが、その記録を破ろうとする者が今後現れたとしても、彼が目指すのはせいぜい23分程度だろう。

現実的選択として、30分を目指すなどという発想などは湧くまい。

 

素潜りで有名なジャック=マイヨールは、素潜りの限界は30m程度であるとされていた時代になぜ100mを超えるダイブを成功させたのか。

 

競って記録を更新し合った好敵手である、エンゾ=マイオルカというライバルがいたからというのもかなり大きいだろう。

 

それは彼にとって優れた環境であったことだろう。

 

このように、環境は人間の限界を左右する。

 

環境は、井の中の蛙で終わってしまう(別に良いとか悪いとかいう話ではない)か、そうでないかの違いを作り出す大きな要因なのだ。

 

だから、周りが10だから無意識的に10前後で安住しているのなら、圧倒的な20や30、或いは100やそれ以上の世界に飛び込んでみる、或いはそういう人と付き合えばいい。

 

最初は圧倒されてしまい、挫折感を味わうこともあるだろう。

 

中学時代にエースで4番だった人間が、強豪校に入るとベンチ入りすら出来なかった、なんて話は当然よくある。

 

しかし、交流するだけで、内側から風船が割られていく。

 

発想が拡張され、世界が拡がっていく。

 

それを楽しめるのなら、例え同じような水準に達することが出来なかったとしても、きっと器が大きくなり、刺激に満ちた素晴らしい人生を送ることができるだろう。

 

 

(2017年7月に執筆) 

 

 

 

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