南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

何らかの催しや発表などをするときに「最低限」気にしておくべきこと

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学生であれ社会人であれ、何かを催したり、授業や授業外で何かを発表したりする機会は少なくはない。


そして催す側や発表者は、発表する内容やプレゼンの仕方ばかりに目が向いてしまいがちである。


日常的に人前で話すような人なら兎も角、大勢にとっては非日常の行為であり、ゆえにあまり精神的な余裕がなく、自分以外が見えにくくなってしまうのは当然のことだ。

 

 

しかし、忘れてはいけない視点がある。

 

それは、催す側や発表者に意識を傾ける人の視点だ。

 

 

催しや発表をする間、他者はそれに意識を向ける。

 

意識を向けるつもりがなくても、大抵はその場に留まることになる。

 

というより、授業や社内プレゼンなどの場合、留まらざるを得ない。


そうして意識を向けさせること、或いはその場に留まらせることは、その間に出来る他のことをする機会を奪っているという事実がある。

 

仮に100人の聴衆の前で15分のプレゼンをするとして、その内容が要領を得ない、誰にとっても取るに足りないものであった場合、100×15分=1500分、つまり25時間が浪費されることになる。(無論、聴衆の中にはそのプレゼンを見切って個人的な作業に切り替える者もいると思われるが)

 

時間だけではなく、意識を向けるための労力を考えても、他者から多くのものを奪うことになる。

 

聴衆の数に関係なく、人の時間や労力といった資源を、つまり「命」を奪っているのである。

 

そう考えると、誰にとっても退屈な授業を展開する学校教員や、ミーティングと称して本質的でない話し合いに終始して時間を浪費する学生や社会人の罪は深い。

 

そのことを踏まえて、「対価を意識」する必要がある。

 

自分の提供するものに時間や意識を割いてくれる人に、正当な対価を与える努力をしなければならない。

 

日頃の自分を省みて、他者の意識を集めるような行為の内実が自分本位なものになってはいないか、考える意義は充分にある。

 

聴いている者、参加している者がいて初めて成り立つのだから、そちら側の視点を常に考慮すべきである。

 

意識を向けて良かったと思えるようなものにする努力が必要である。

 

私自身、例えば先日、授業外で少年犯罪に関する発表をした際、深まりに欠ける要領を得ないものになってしまった。

 

それは主に準備不足に起因するが、人の時間を取っているという事実を常に意識してコトに当たらねばとの認識を新たにした。

 

準備を怠っては、本人にも残るものが少ない。

 

催しや発表が自分本位のものにならないためには、まずは準備にエネルギーを割くことが肝要である。

 

慣れてしまえば、大した準備なしに高いパフォーマンスを発揮できるようになるはずであるが、そのレベルに達していない自覚があるのなら、そうすべきだ。

 

こうした姿勢は、メールで済むことを電話することが問題視されることを見ても分かるように、催しや発表に限らず、生活のあらゆる場面で意識して実践する価値がある。

 

但し、この記事などを読んで、意識の向け甲斐がなかったと感じたなら、それは積極的に読むと判断した人の責任である。(強制力の有無が問題)

 

 

(2017年6月に執筆)

 

 

 

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