南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

「また同じ失敗?」なぜ気付きや学びは活かされないのかを考えてみた

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「なぜ気付きや学びは活かされないのか」について。

 

技術や能力が翳りを見せるように、建造物が朽ち果てるように、どこかで得た学びも気付きも感動も、時間が経てば色褪せるものだ。

様々なことを考えてきたつもりだが、振り返ってみたとき、それらが真に自分のものになっているとは言い難い。継続して在り方を変えるというのは難しいことだ。

“日々を真剣に生きよ”とはよく言われることだが、その実現のためには、日々意識して過去の教訓をしっかり活かし続けることが不可欠だと感じる。

 

上の文章は、2016年の終わり頃に書いたものである。 

 

ここに書かれてあるように、私はこれまで様々な実体験を通して多くの有益な気付きや学びを得てきた。

 

しかし、それらの中には、私の血肉として活かされているとは言い難いものも多々あった。

 

ただただやるせなさが募る。

 

 

何もそれは決して私だけが抱える悩みではないだろう。

 

皆、頭では分かっていても、現実に行動として反映させることができなかったり、できても継続することができなかったり、そもそも忘れてしまったりする。

 

誰もが"当たり前"と闘っているのだ。

 

以前とある中学校に勉強を教えに訪問したとき、教室の後ろに貼られていた「今学期の目標」に「朝早起きする」というものがあった。中学3年生と同じ目標を、大学生はおろか社会人もが未だに設定していたりする。

 

 


ではなぜ、そうした気付きや学びはなかなか活かされないのか。

 

 

<学びや気付きを継続して活かせない原因>

 

 

反復の不足

本人に活かす意思がない、或いは活かせる機会が限定されているなどの理由で、反復する機会に乏しい。

 

必要性の不足

学びや気付きが本人にとって些細なことであり、そこから変わろうとしなくても生きていけるから、無理に活かす必然性がない。或いはそれ故に忘れてしまうから。

 

 

主にこの2つだろう。

 

 

これらは互いに関係している。

 

必要性の不足が自ずと反復の不足を招く場合も多々あるからだ。

 

気付きや学びがあっても、それが現実の行動にうまく反映されないとき、それは本人に欠陥があるわけではなく、単に反復機会の不足から、そうした気付きや学びを充分に自分のモノにできずにいるだけであったりする。

 

反復しなければ、身に付かない。習慣になりにくい。

 

このことは、実生活を振り返ってみれば分かる。

 

ペーパードライバーは、運転という行為を反復しないから、運転の仕方を忘れる。

 

ギターだって、暫く演奏しなければ、覚えていたコードを忘れる。

 

人は忘れる生き物だ。

 

繰り返せば、それが身に染みて、習慣となる。条件反射レベルになっていく。

 

 

そして、反復しなくても、気付きや学びをもとに何かを身に付けなくても、現状のままでなんとか上手くやっていけているのなら、"変化する必要性は欠如している"ということになる。

 

例えば、遅刻癖に悩まされているある人が、遅刻していては心地よい朝を迎えることが出来ない、ということに気付くとする。

 

彼は、遅刻しないようにしようと努めることだろう。

 

しかしそれでも、実際に遅刻癖がなくなるとは限らない。

 

寧ろ、なくならないケースが殆どだろう。

 

「彼がこれまで、遅刻しながらも上手くやっていたのなら」

 

 

「心地よい朝」それ自体は、それがなければ日常生活に大きな支障を来すというような代物ではない。

 

現に、それまでも心地よい朝は身近な存在ではなかったのだから。

 

つまり、必要性、必然性、強制力が欠如しているのだ。

 

もし部長に、次に遅刻したらクビを切ると宣告されたなら、彼は強制的に遅刻癖とオサラバせざるを得ないだろう。

 

そうして、遅刻しない朝を反復しているうちに、それが新たな癖となり、習慣となり、遅刻癖は自ずと消失するであろう。

 

その意味で、一見理不尽に見える指令などは、伝え方や対象次第ではあるが、的を得ているとも言える。

 

活かさなければ困るような学びや気付きは自ずと活かさざるを得ない。

 

そこに必要性や強制力がなければ、エネルギーを投下してまで無理に変わろうとはしない。

 

1年の目標に英語習得を掲げる日本人は多いが、差し迫ったものでない場合が殆どだから、達成できずに終わる。

 

しかし英語話者しかいない空間に飛び込めば、英語が生活において必然的なものになってくる。

 

だから反復して用いざるを得ない。だから上達する。

 

より端的に言うと、「早起きが苦手な人でも、起きなければ殺されるという状況に身を置けば、早起きできる」。

 

 

また、学びや気付きを得ても、それを活かすことができずに停滞していれば、またそのうち同様の学びや気付きを得る機会が訪れるはずだ。

 

もし訪れないのであれば、それはきっと些細なことで、変化の必要性に乏しい事象であるに違いない。

 

つまり、自己改善したいがそれが出来ずにいるのは、もちろん意志薄弱のせいである場合もあるが、環境に依るところも大きいのである。

 

 

 

必要に迫られなければ、人は無理に変わろうとはしない。

 

変わるにはエネルギーが要る。時間も要る。

 

太古の昔に魚類の一部が大地を踏んだのは、決して道楽でも探検でもない、必要に駆られた生存戦略なのである。(多分ね)

 

(2017年1月に執筆)

 

 

 

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