南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

結局、キャラって相対的なものに過ぎないという話~ジャイアンを例に~

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恐らく総理大臣よりも知名度が高い、説明不要の国民的アニメ、ドラえもん。

(最近アメリカ人に尋ねたら知らないようだった)

 


そこに登場するジャイアンこと剛田武は、ガキ大将として主人公の野比のび太や骨川スネ夫を日常的にいたぶり、支配下に置こうとする。

 

素手ではジャイアンに対抗することができないのび太はドラえもんの力を借りてジャイアンに負けまいとするが、結局上手くいかない―。

 

ドラえもん作品における主流様式の一つだ。

 

そんないじめっ子のジャイアンであるが、自分より格上の存在が現れると、若干のび太化する。

 

負けそうだと察すると、のび太のように泣いて懇願しはじめちゃったりする。

 

その様子は、「大山版ドラえもん 第1634話 ジークフリート」を観れば分かる。(オンラインで見られるかも)

 

隣町のガキ大将(便宜上Aとする)を前に、ジャイアンはいつものガキ大将ぶりを発揮できなくなる。

 

ちなみに、浪人時代終盤、脳の休息のためにドラえもんやお笑い芸人の動画をよく眺めていた時期があったのだが、絵といい声といい、今のドラえもんは違和感しかないので、大山版ばかり観ていた。

 

 

さて、格上の存在を前にしたジャイアンを見ても分かるように、より強い性質を持つ者がその役割を担うのである。

 

確かにジャイアンはリーダーシップや体格、戦闘力や性格など、ガキ大将的素質を多く有している。

 

仮に10歳から12歳の男子を母集団とした場合、標本の有するガキ大将的素質が正規分布であるとすると、彼のガキ大将偏差値は70はありそうだ。

これは44人に1人程度の出現率であることを示す。単純計算で、クラスに44人の生徒がいるとして、その中で一番のガキ大将であるということだ。

 

しかし、「第1634話 ジークフリート」に登場した隣町のガキ大将Aには、体格も戦闘力も性格(暴君的性格)も、ジャイアンには到底敵うものではなかった。

Aのガキ大将偏差値は75以上はあったかもしれない。(無論、ジャイアンとは学年が少し違うので、学年別に見たらそれらの数値はまた変わってくるわけであるが。)

 

 

 

集団において、ヒトは自ずと自らの役割(キャラクターと言ってもいい)を見出そうとする。

それは自覚的であったり無自覚であったりするが、必ず起こる。

 

ジャイアンはのび太やスネ夫らによって形成される彼のコミュニティの中では最もガキ大将偏差値が高いのでガキ大将としての役割を維持できたが、そのコミュニティにAが入り込んできた途端、ガキ大将の役割は自ずとAに引き継がれることとなったのだ。(ジャイアンは恐らくガキ中将くらいに格下げ)

 

そのコミュニティにおけるのび太の役割は、低カーストのいじめられっ子である。

彼が転校してしまえば、その役割はその次にいじめられっ子偏差値の高いであろうスネ夫へと移行することになるかもしれない。

或いはジャイアンが消えれば、その次にガキ大将偏差値の高いであろうスネ夫がジャイアンほどではないにせよ傍若無人に振る舞うことになるかもしれない。

 


普段表出している役割(キャラ)とは、(必ずしもそうではないとはいえ基本的に)その人の本質でもあると同時に、あくまで表出したもの、表面的なものに過ぎない。

だから、仮面のようなものに過ぎないのである。少々強引な論かもしれないが。

 

 

集団内におけるヒトの役割は、そんな風に、構成員の中で最も強く有する性質に見合ったものになるのである。

そしてそれは、誰の身にも日常的に起こることである。

 

 

例えば、あなたは比較的お喋り人間(聞き手的性質よりも話し手的性質が強い)であり、お喋り偏差値が60であるとしよう。(正規分布で考えるなら、これは概ね6.3人に一人の出現頻度である)

そして、あなたがいつも一緒にいる仲の良い友達BとCのお喋り偏差値がそれぞれ45と55であるとする。

その3人で話すとき、あなたが最も話し手に、Bが最も聞き手に回ることになる。

その集団におけるあなたの役割(キャラ)の一つは話し手であり、Bの役割の一つは聞き手である。

 

そこに、お喋り偏差値70のDが加入すれば、状況は一変する。

Dがあなたに変わる話し手としての役割を確立し、あなたは何かしらの対応を迫られる。

話し手No.1としての看板を下ろす代わりに、もともとのユーモア偏差値の高さをより強く表出させて、お笑いキャラで売っていくことで適応していくかもしれない。

 


余談だが、この物語は、のび太がドラえもんの秘密道具を利用してAをぶちのめしたところにジャイアンが偶然トドメを刺してスネ夫やしずからの信頼を再獲得し、良いところを持って行かれたのび太は失望に沈むというカタチで終わる。

 

ジャイアンは世界の広さや世界における自分の無力さを少しでも知って、謙虚になるような男ではないが、驕りがあるときこそ、環境の変化によってそうしたことを知り、精神的成長に繋げることができるはずだ。

 

 

最近自分は謙虚さが足りないと思ったら、自らその生ぬるい環境を変えるべく飛び出してみると、長期的に見て人生の充実度が高まるはずだ。

 

(2017年4月に執筆)

 

 

 

 

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