南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

本音に素直に生きる方法とその意義について

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自分の心に素直になって、本音で生きることには、どんな意味があるだろう。

 

 

本音とは、自分自身の心の奥底にある、その人の「らしさ」を形作る重要な部分。

 

人は自分らしく生きることができなければ、つまり本音で生きることができなければ、自ずと疲弊し、精神的に貧しくなってしまう。

 

そうして、誰の人生を歩んでいるのか、自分の人生は何のためにあるのか、分からなくなる。

 

自分を抑えて本音を隠し通せば、表面上は波風が立つこともなく、誰も傷つくことはないかもしれないが、代わりに常に自分自身が傷ついていて、そしていつしかその歪さのしわ寄せがやってきて、未来の自分や未来の自分の人間関係をおかしなものにしてしまったりする。

 

一方、少なくとも大切な部分では本音で生きることを心掛けていれば、やましい思いやわだかまりを感じることもなく、楽な姿勢で生きることができる。

 

だから、本音に素直に生きることには、言うまでもないのだけれど、生きやすくなる上で大いに重要な要素なのだ。

 

 

本音でいられるかどうかが試される局面として大きな割合を占めてくるのは、人間関係である。

 

例えば組織にいれば、波風を立てないように、本心に反することをせざるを得ない局面も必ず出てくる。

それはある程度合理的に割り切ることも必要ではある。

あまりに本音を抑えなければいけない状況であり続けるのなら、環境を正の方向に変えれば、人生の豊かさは、目の輝きは、グッと増してくるはずなので、それも選択肢として考えておけばいいとは思うが。

 

 

それはさておき、個人的な人間関係においては、基本的に本音であり続ければいいと思う。

 

自分の奥底の感情に素直に、ある程度自己中に、自分を出していった方が互いにとって良いだろう。

 

それは想像力の要ることでもある。

 

優しさと思いやりを以て、相手を安心させるようなコミュニケーションを尚更取っていかなければならない。

 

価値の見なされる関係でも、些細なことで崩れるものだ。

 

その上で関係が上手くいかないのなら、相性やタイミングが悪いだけだ。

 

本音を偽っていては、隠していては、真に意味のある、真に愛のある関係になれはしない。

 

もちろん本音ばかりでは上手く回らないこともあるが、本音で語り合わなければ、等身大の心に限りなく近い言葉でなければ、意味はない。

 

耳に心地よいだけの表面ばかりの会話では、あとに深く残るものがない。

 

自分の人生って何だったんだろう、とあとで後悔することになりそうだ。

 

そして、本音で真剣に向き合わなければ、同じようには向き合ってもらえないものだ。

 

 

本音で接してもらうために大事なのは、「本音で接すること」。

 

 

まずは自分から、勇気は要るけれど優しさと思いやりの心とともに本音に素直な姿勢を見せるのがいい。

 

本音を伝えるのは大事だが、伝え方も肝心である。

 

ただ、相手が弱っているときは、悪気がなくとも本音を言うことで傷を抉ってしまうこともあるので、伝え方以前に、本音と建て前を使い分ける必要がある。

 

 

 

故意に鈍感であることも時には必要だと思う。

 

真の鈍感ではなく、「敏感さを持ち合わせた上での、故意的な鈍感」。

 

つまり、ある程度大胆で自己中な態度や行動を取る。

 

もちろん、優しさや思いやりがあっての上でだが。

 

それは周りを過度に気にせずに、自分の心のより奥底にある本当の欲求に素直になることを意味する。

 

周りに配慮したいという気持ちの方がより奥底の本心であるならば、また話は違ってくるかもしれないが…ともかく人間関係においては、駆け引きやら戦略やらを考えるよりは、素直な気持ちを誠実にストレートに伝える方が、きっと上手くいくし、きっと生きやすくなれる。

 

また、会話していて覚えた違和感は無視せず、なるべく素直に指摘するなり疑問を投げかけるなりすることで、表面だけの理解に留まらず、物事の本質を捉えることができる。

 

真剣に相手と向き合う姿勢があってこそのものである。

 

相手への好奇心や誠実さもモノを言ってくる。

 

表面だけで終わらない。そこにこそ価値がある。

 

 

私の周りには、私を批判してくれる人、違和感を覚えて突っ込みを入れてくる人はなかなかいないが、前にそういう人がいて、その温くないけれど刺激的な状況に価値を感じずにはいられなかった。

 

そうやって、高い思考力の上にしっかり向き合って突っ込みを入れてくれる人間を大切にしたいし、自分もまたそういう人間でありたいと思う。

 

本音で接してくれるのは、相手にとって関係の希薄な者か、親しいけれど関係にヒビが入っている者か、大いに親しく真の意味での優しさと思いやりのある者だろう。

 

そのどれもが人生を大きく左右しうる。

 

 

 

話していて、書いていて、自分を正当化しようとしている気がするとき、自分が胡散臭くなっている気がするとき、それは大抵本音ではない。

 

そこにある違和感に、自分に嘘をつかずに素直に向き合ったとき、そこに生きやすくなるためのヒントを見つけることができる。

 

自分らしさを理解していくことができる。

 

自分の心に正直に生きてこそ、心地良くて納得のいく人生を作ることができると私は信じる。

 

だから私は、書く言葉も話す言葉も、本音であり続けたい。

 

違和感があれば、誤魔化さずにそこに向き合いたい。

 

SNSなんて本音は書かないか曲げて書くか、なんてのが普通かもしれないが、このブログは本音に即して書いているつもりだ。

 

誤魔化さず、自分自身に真剣に向き合うことにこそ、価値がある。

 

(2017年3月に執筆)

 

 

 

 

 

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