南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

中高生に告ぐ。踏み出そう。殻破ろう。

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やった後悔とやらなかった後悔は、後者の方が数も程度も大きいものだ。

高校時代の終わり、「人生の後悔リスト」を作った私はそのことを目の当たりにした。

 

私はこれまでの21年の歩みをそう悪くなかったと思っているが、もちろん後悔も沢山してきた。

特に、中高生時代の過ごし方に関して。

 

 

中高時代の人間関係は、同級生内でほぼ完結していた。

 

学校以外で人と関わることはほぼない。(塾とか親の知り合いくらい)

 

そりゃ朝から夕方までずっと学校、家に帰って寝る、なんて生活を送っていればそうなるのが普通だ。


浪人時代もそうだった。ほぼ同世代と関わることしかなかった。


だから、高校時代の終わり、受験のために上京したついでに、宮城県の某NPOに転がり込んで11日間滞在し、社会人や大学生など、様々な文脈に生きる人たちと交流することができたのは、当時の自分にはストレートに響くものがあった。

 

もし今、高校時代に戻ることができるなら、すぐさま退学して、縁もゆかりもない、しかし面白い奴が多そうな高校かどこかに転入するだろうし、もし同じ高校に通い続けるとしても、別の学年はもちろん、他の学校や学校以外の様々な人たち(特に上の世代)と交流を図るだろうし、とにかく色んなところに冒険に出掛けるだろう。

 

 

 

生きてきたのは、あまりに狭い世界だった。

 

特に高校は、サラダボウルの中学とは違って同質の人間ばかりが集まり、刺激が乏しかった。まあ高校というのは往々にしてそういうものだ。


ぬるま湯は居心地が良いが、さして気持ちよくはない。刺激的ではない。

 

安住しきるのが怖ければ、外の世界が怖くても踏み出す方がずっと自分のタメになっただろう。

 

当時の私には残念ながらその発想がなかった。大学生になったら、と思っていたが、そのとき踏み出すべきだったのだ。

 


無論、私はそこでグチグチと文句を垂れながら過ごしていたのではなく、自分なりに刺激を求めて動いたり、改革を起こそうとしたりもした。

 

思い返せばなかなかアウトローな高校生だった。

 

それが今のモチベーションにも繋がっているのだから、あの頃の抑圧は必要だったのかもしれない。

 

人生万事塞翁が馬ともいう。

 

 

世界が狭ければ、何かに躓いたとき、それが自分の世界の全てだと思って腐ってしまう。

 

本当はそうじゃない。本当に狭いところで生きているのだ。

 

早く気付けば気付くほど良いと思う。

 

生きやすくなるし、楽しくなる。ワクワクできる。

 

 

(2017年1月に執筆)

 

 

 

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