南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

教育者はかくあるべき!思考の機会を与えるというカタチの愛について

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以前、友人と上海に旅行に行ったときに、大学の別の友人の父で上海在住の木村さんという方にお会いする機会を頂いた。

彼とは会ったことはなかったが、Facebookでは何故か友達になっていて、何度か絡んだこともあった。彼の投稿やコメントが独特なこともあり、面白そうな人だと思っていた。そこで、上海に行くために空港のターミナルで待っているときに連絡してみたのであった。

 

そして帰国前夜、彼と地下鉄で落ち合い、その後向かった中華レストランで、彼と中国人の奥さん、友人と私の4人で食事をしたときのこと。

 

 

彼は何かについて話すとき、

「なんでだと思う?」

「どうしてそうなると思う?」

という類いの返答を好んだ。

 

 

私はその度に考えさせられる。

 

下手なことを言って知能が疑われるのは嫌だ。

それにクイズのようで楽しくなる。

 

このようにオープンクエスチョン(イエスやノーで答えられない問い。5W1Hを用いた問い)を会話に織り交ぜることで、相手に思考を促すことができる。

 

思考は会話のスパイスになる。

 

彼との交流を経て、「相手に考えさせる会話」を心掛けようと思った。

 

 


教育においては、基本的に思考の機会を与えるものこそ善であると私は考えている。

 

そして、思考の機会を奪うものは悪であると。

 

 

自分で考える力を身に付けさせることで、騙されたり貶められたりしないように自分を守る知力、そして、どうすればより良い結果が得られるのかを考える思考力が同時に身に付く。

 

これは脳が若くて新鮮な子供のうちから育んでいくべき代物だ。

 

 

思考の機会を与える基本的な方法は、前述の「オープンクエスチョン」であろう。

 

 

では、子供に何かをさせたいとき、何かを重要であると教え込みたいとき、どうするか。

 

 

「いいからこれをやりなさい」

 

そんな言葉を繰り返していると、指示される側は思考力が寂れ、従う能ばかりが成長したつまらない他者依存人間になってしまう。

 

「なぜこれをしなければならないと思う?」

 

面倒かもしれないが、ただ従わせるのではなく、そんな問いかけをすることで、子供は考える。

 

上手く導くことができれば(ある種の洗脳)、受動的にではなく能動的に子供に掃除をさせることができる。

 

 

「いいからやりなさい」の方が指示する側は楽だ。

 

結果的にその指導が功を奏したり、そのことをのちに子供が感謝したりするなんてこともよくあるだろう。

 

子供という、判断能力の比較的乏しい存在に対しては、どうせ大して理解できない理屈を説明するよりも、強制的にやらせた方が良い結果を招く、ということだってあるかもしれない。

 

自分で考えられる素地を持った子ばかりではないという意見もあるだろう。

 

自ら考えさせたところで、そう簡単にコトが運ぶとは限らない。

 

そもそもこれは教育する側・される側、双方の人間性や知能、素質もキーになってくるので、皆が皆上手くできるわけではなく、結果だって社会的に見て良いようにも悪いようにも転ぶことになるだろう。

 

 

 

だが、自ら考えることのできない人間は、利用され搾取される側に回る。

 

人生の資源を浪費し、関わる人を巻き込むことにもなってしまうかもしれない。

 

それは恐らくハッピーとは言い難いだろう。

 

 

だから、短期的にではなく、長期的な子供の成長を見据えるのだ。

 


子供が人に愛される存在に成長するように工夫しながら、愛を以て「自ら考える力」を育んであげることが、親を始めとする教育者のできる、最大の贈り物であろう。

 


なお、子供に絞って話を進めたが、これは例えば上司と部下との関係においても成り立つことは言うまでもない。

 

 

 

(2017年12月に執筆)

 

 

 

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