南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

物事が思い通りに進まない人に捧げる「100のパラレルワールド」の発想

 

勉強であれ課題であれ何であれ、「計画」なんてものは往々にして上手く進まないものだ。

 

 

現に、今コロンビアで大学生をしている私も、生活必需品であるスペイン語の学習量には、日によって大きな波がある。

 


友達と出掛けてそのまま予想外にお家にお泊まりすることになるなんてことは何度もあるし(やはり私は外国人だから、暗くなってから帰宅することを治安面で心配されるというのも大きい)、この前の週末なんて食中毒で寝込んで「直近30時間のうち延べ20時間は寝てました」なんて状態になったりもしたし、単に疲れてやる気が湧かないときもあるし...。

 

とにかく思ったようなペースで学習するのは難しいものがある。

 

 

それは日本にいても同じだし、誰であっても同じだろう。どんな天才や秀才でも。

 

 

壮大な計画を立てたところで、数日経って思うように進まなければ、すっかり投げ出してしまって、考えたくもなくなったりする。

 

 

そうなってしまっては元も子もない。

 

時間が勿体ないし、当然ながら「結果の期待値」は下がる。

 

 

 

だから、計画を立てること以上に、いかに迅速に立て直し、軌道修正するかが重要になってくる。

 

 

昔、「(寝ているときに見る)夢というものは、忘却のプロセスも含めて夢である」などという文言をどこかで見かけたことがあるが、

 

それと同じように、

 

 

「計画は、立て直すことも含めて計画である」。

 

 

ならば、当初の計画が上手く運ばなかったくらいでやる気を大きく削がれてしまっていてはつまらない。(まあ、計画なんてせいぜい数日分くらいしか立てないけれど)

 

 

 


人生は壮大なゲームであり、実験だ。

 

 

如何に自分の望みを叶えられるか、自分の欲求を満たせるか。

 

 

よくある勘違いを先に指摘しておくが、

 

「自分の欲求を満たす」というのは必ずしも、自己中心で利己的というわけではない。

 

 

例えば、他者を幸せにしたいという欲求。

 

これもまた自分の欲求であるからだ。

 

 

如何に楽してカネを稼ぐか。

 

如何にあの人と仲良くなるか。

 

如何に運動を習慣化するか。

 

如何に週末を楽しいものにするか。

 

如何に欲しいものを手に入れるか。

 

如何にレギュラーになるか。

 

如何に、如何にして、成したいことを成すか。

 

 

様々な選択肢の中から無限に選び続けた先に広がる未来は本当に幅広い。

 

Back to the FutureやButterfly Effect、Time Machineなどの私が大好きなSF映画でも描かれているように、それはビデオゲームのルート分岐のようなものだ。

 

これを読んでいる誰かが将来的に日本の首相になることだって有り得る。

 

 

ゲームオーバーは取り返しのつかない失敗をしたときではなく、死ぬときだ。

 

残念なのは死ぬことよりも、自分の人生を思うように、後悔のないように生きないことであることは言うまでもない。

 

 

 

これと絡めて見てもらいたいものがある。

 

下の絵は、大学1年のときに、受験生に向けたオープンキャンパスのための学類(≓学科)紹介冊子の表紙のためにPCで描いたイラストだ。

 

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※「国際総合」とは、筑波大学の社会・国際学群(≓学部)の国際総合学類のことである。

 

この絵には4つのメッセージを込めた。

 

せっかくだから、少し想像してから読み進めてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

1つ目は、お分かりのように「受験生のあなたの目の前には沢山の選択肢・可能性が拡がっていますよ」ということ。説明の必要はないだろう。

 

2つ目は、「『国際総合学類』はそんな沢山の選択肢・可能性の中のたった1つの選択肢に過ぎませんよ」ということ。自分を縛ることなく、4年以上過ごす環境をよく考えて吟味してから選択してほしいという願いを込めた。

 

3つ目は、「今あなたがそこにいるのは、あなたがこれまで成してきた無数の選択の結果ですよ」ということ。これはいくらでも解釈できると思う。左下にある、歩まれることのなかった別のルートがそれを示唆している。

 

4つ目は少々蛇足的だが、「死ぬことも普通にありえますよ」ということ。「国際総合」のすぐ下にある、ちょんぎれた枝がそれ(=死)を意味している。死は決して自分と関係のない世界ではない、ということ。

 

 

まあ、そんなメッセージを読み取るのはよく考えないと難しいだろうし、少なくとも当時はそんなことを言える分際でもなかったわけだが。

※子供でも描けるような抽象画にはその価値によく疑問を抱くが、表現者は見る者に解釈を委ねて無責任でいられるものだ。

 

 

まあとにかく、人生の選択肢は無数にあって、その各局面はそれ自体がゲームや実験と言える、ということだ。

 

 


2年ほど前になるだろうか。

 

ある親しい先輩が、就活にあたって自己分析する中で、自身の歩んできた大学生活に価値を感じられなくなり、塞ぎ込んでいた。

 

そんな彼と話す中で、ふと思い付いて伝えた発想がある。

 

ザッと100のパラレルワールドがあるとして、それぞれに現時点まで全く同じ歴史を持った自分がいるとする。

 

人生とは、ここから他の99個の誰よりも素晴らしい人生を実現することを目指すゲームである。

 

同時に、如何にして自分の想像、空想、妄想を実現するかを考えるゲームである。

 

これまで頑張ってこなかったとしても、今から頑張ればいい。

  

手前味噌ながら、特に何かで失敗したときはこれを思い出す。(まあ失敗なんて日常茶飯事だが)

 

例えば、コロンビアに来たばかりときは特にコミュニケーションの取れなさに打ちひしがれたものだったが、「ここがスタートラインなのだから今この瞬間しっかりやればいい」と思ったものだったし、予定していた「やるべきこと」が一番上に示したような理由(体調不良など)により上手く進まなくても、「『今』を起点とする100のパラレルワールドの中で、自分のいるこの分岐こそを一番良い結果にする」と考えるようにしている。

 

他人と自分を比べるのではなく、複数の自分と自分を比べる。ということになる。

 

 

だから、軌道修正には時間がかからない。

 

3日坊主になっても、このパラレルワールドの発想で、5日目からまたフレッシュな気持ちで始める。

 

 

ミスをしたり物事が上手くいかなかったりすれば多少は落ち込むけれど(落ち込むのは重要)、軌道修正に時間をかけているほど時間に余裕はない。

 

必要ならばミスの原因などの把握に努めた上で、またすぐに前を向く。

 

 

上に挙げた発想と同じような意味合いの言葉は沢山あるだろうけれど、自分にとってシックリくるかどうかが重要なのであって、私にはそれが響いたまでだ。

 

 

 

というわけで、100のパラレルワールドの頂点を目指すつもりで今日も生きる。

 

 

 

 

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