南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

【諸行無常】埼玉秩父に山奥にひっそり佇む廃村「岳集落」を歩く【盛者必衰】

 

奥多摩にて多摩川ラフティングをして「ゆく川の流れは絶えずして然も元の川にあら」ざるをことを体感した後、近くの廃村で「盛者必衰の理」を身に染み込ませることで、『ダブルコンボで諸行無常を感じようツアー』を完成させようとするも、様々な障壁によりやむなくラフティング単品を選択してから約2年、場所は異なれど遂に廃村を訪れることができた。

2017年5月、ゴールデンウィーク最終日のことだ。

 

 

大学同期の運転する車で走ること数時間、ピークをとうに過ぎたらしい埼玉県秩父の芝桜を拝んでから、薄暗くなりつつある空に少しずつ近付いてゆく。

 

後部座席にはこの日が実質初対面の女性が2人。

運転する同期が作ったばかりの旅行サークルの活動の一環として、我々は廃村に向かっていたのだった。

 

私はキャンパス内にある芝で開かれていたそのサークルの顔合わせ会に偶然通りかかり、知り合いが複数いたので近付いた結果、その場のノリで入ることになったのであった。

その以前から廃村に行きたかった私は、GWにどこに行くかという話になったときに、廃村のアイディアを出し、採用された。

ちなみにその後、活動は特に行われていない模様。

 

 

暗くない、しかし明るすぎない、曇りがちの、廃村訪問には最適な天候だった。

 

暫く走っていると、大きなダムが現れた。

 

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浦山ダムというらしい。

眼前に聳えるダムを撫でるように見つめながら、何年も前にテレビでダムマニアに関する特集があったことを思い出す。

確かにこの巨大建造物にはロマンがある。

エジプトのピラミッドもカンボジアのアンコールワットもそうだが、今巨大建造物の乱立するこの世界から突如人間が消えたなら、10年後にはどうなっているのだろうなどと想像が掻き立てられる。私は人類が消えたあとの東京都庁や国会議事堂あたりがどうなるのかが気になる。まあお目にかかることはできないけれど。

 

そこから引き返して、廃村のある山に入っていこうと橋を渡ったとき、道路に真っ赤な尻をした猿がいた。

人に慣れているのか、こちらに気付いても動かない。

さらに近付くと、ようやく重い腰を上げて茂みの方へゆっくりと歩いていった。

以前奈良の秘境・十津川村(日本一大きい村なのに人口が1000人くらいだったか、とにかく人口密度がトップレベルに低い)あたりを車で走ったときも何匹か猿を見かけたものだった。

豊かな自然がそこにあることを物語っている。

 

廃村に向かう道は通常のGoogle Mapsに表示されなかったため、上空写真に切り替えて、廃村に近いスペースを見つけてそこに車を停めた。

直後に別の車がやってきた。彼らの目的地もまた、廃村のようだった。

この廃村は、嘗て人気ホラー系ゲームの舞台のモデルとなったらしく、以来一部の人たちの間で人気スポットになっているという。

 

ダム湖と、それを取り囲む雄大な緑のパノラマが眼前に広がる。

 

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道が分からないため、だいたいの方角に向かって進み出す。

少し進むと、農家らしきおじさんが「どこにいくんだ」と大きな声を掛けてくる。

廃村に行きたいと言うのは憚られたので、廃村内にある「十二社神社」に行きたいと告げると、「こっちの方から行ける」と教えてくれたので、細い半獣道を蜘蛛の巣を破りながら抜けていった。

 

 

暫く歩くと、そこにあったのは、誰もいない時の止まった村・岳集落だった。

人里離れた秩父の山奥に今もひっそりと佇む、潰れ崩れ朽ち果てし家屋の数々が眼前に広がる。

 

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床は抜け、屋根はずり落ち、柱は倒れ、壁は崩れ...とにかくボロボロだ。

お風呂やトイレ、棚や臼、小さな靴、40年前のタウンページのようなものなど、生活感のある日常の風景のなれの果てがそこにはある。

周りに聳える高い木々で集落全体が覆われている。ここは常に日陰なのかもしれない。

 

遅くとも江戸時代には存在していた集落。

土蔵のようなところに落ちている(というより誰かが盗りだして置いていったのだろう)教科書や聖書を拾ってみれば、なんと出版時期が大正時代、明治時代。赤丸などがところどころについている。

 

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人々がこの地からいなくなってどれだけの年月が経ったのかは知らない。

だが、確かに誰かがここで生活を営んでいた痕跡があった。

聳える大木たちは、きっとその一部始終を見てきたのかもしれなかった。

 

集落の奥にある十二社神社だけは管理されているようで、綺麗だった。

お酒などのお供え物がいくつか置いてあった。

神道や仏教を信仰しているわけでもないが、神社や寺はその静けさと異世界感が好きなだ。

 

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歩いていると道が二つある。

向かって右手が崖のようになっている細い道を走って奥に進んでみた。

冒険心が溢れだし、走り出さずにはいられなかったのだ。

が、延々と続きそうだったので引き返した。

 

ボロボロの自転車やタイヤがいくつかうち捨てられている。

ひっそりと佇む墓地もある。

あまりに静寂だ。

 

墓地のさらにその奥に道があったので走って上ってみると、綺麗な墓がいくつかあった。

平成20年くらいの墓もある。意外だった。

そこに1つだけ赤い木があったことを覚えている。

 

崖状になったところを、木を使いながらサーフィンのようにして下り、皆と合流した。

私が行っている間、瞼を閉じることなく深緑の底に横たわるフクロウを仲間が見つけていた。

大きな存在感を放っていた。

何を思いながら逝ったのだろう。

 

カエルか何かの変わった鳴き声がする。

聴こえてくる方に近付くと、鳴り止んだ。

私有地の近くに焦げた木が何本か立っている。

最近放火があったらしい。

その近くの小さなお地蔵さんの列のそばに立て看板がある。

過去にそのうちの1つが盗まれたのだそうで、「返してください」と書かれていた。

小さなお地蔵さんは色違いの布に身を包んでおり、表情が1つ1つ少しずつ違っていた。

 

何時間ここにいたかは分からない。

18時を過ぎていたし、色々と見ることができたので、帰ることにした。

 

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朽ちた廃屋たちは、放っておけばいずれ、あいも変わらず静かに息吹く大自然に飲み込まれてしまうのだろう。

地球から人類が消えたなら、きっとあの東京都庁や国会議事堂でさえ深緑の彼方に消えるだろう。

人々が遺した爪痕は、海辺の砂浜に刻んだ文字のように掻き消されてしまう。

ゆっくりと、しかし力強く。

そんな母なる大自然に負けないように、地に足つけて逞しく生きてゆきたい。

そして爪痕をしっかりと遺したい。

 

帰り際、ダム湖が一望できる場所で立ち止まった。

おじさんに声をかけられた直前以来、蜘蛛の巣対策としてずっと携帯していた魔法の杖のような木の棒を、ダムの方向に向かって勢いよく投げた。

 

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口を噤んで耳を澄ませば、空を切る風の音と、鳥々の声、そして自分が生きる音だけが響く。

眼前に超然と佇む山々は、市販のクレヨンでは決して表現できないような、何百もの色彩を呈している。

その上には、霞みがかって捉えどころのない水色を基調とした空が延々と拡がり、そこに浮かぶバニラ色の雲々の色共々、西日がゆっくりと赤みを加えてゆく。

 

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地球って素晴らしい。

そう思えた一日だった。

 

 

(2017年5月執筆ベース)

 

 

 

 

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