南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

新宿二丁目の伝説とされるバーなどに行って知った世界

 

※これは、2015年夏に書いたものを加筆修正した文章である。

 

 

2015年夏。


大学1年だった私は、地元の友人たちとともに、夜の新宿を歩いていた。

 

 

目的地は新宿二丁目。

 

ゲイタウンとして有名な場所だ。

 

単純に、どんな場所なのか興味があった。

 

 

 

二丁目が近付くにつれ、手を繋いで歩く男性カップルやゲイ向けの広告などが次第に増えてきた。


平日だったので、人はそう多くはなかった。

欧米人らしき人が多かった印象がある。

 

f:id:neoism:20180701122950j:plain

 


二丁目は危ないという噂があった。

 

治安が悪い、ゲイに襲われるなど、内容は様々だ。

 

しかし私は事前調査により、それは間違いであることを知っていた。

 

治安が悪かった時期もあったそうだが、近年はそんなことはないようだ。

 

 

 

二丁目に到着する。

 

別に境界線なんてないのだが、男性だけが描かれた性病予防を呼びかける看板、ゲイグッズ(性的玩具)やゲイビデオなどのお店、店の名前や雰囲気、歩いている人々を見れば、そこが二丁目であろうことは一目瞭然だった。

 

二丁目の伝説とも言われるディスコ「NEW SAZAE」に行こうと息巻いていた我々であったが、いくら探しても見当たらない。

 

諦めて、別の店に入ることにした。

 

入ったのは、いわゆるゲイバーだが、一応誰でも入店可という店だった。(ミックス)

 

二丁目は、ゲイオンリーの店が一番多いそうだが、ミックスの店も沢山ある。

 

 

 

店内には、恰幅のある30代くらいのゲイ男性、メディアにもたまに露出するという、ツケまつげが半端ない厚化粧の「女装家」などがいた。

 

我々はそのとき、都内の様々な場所を連日巡っていた。

疲労感が顔に出ていたのだろう。

 

カウンターに3人並んで腰を掛けると、カウンター越しに

「どうしたの、怖い顔して」

と声を掛けられた。

 

狭い店だったが、周りを見ると他の客は楽しそうにワイワイやっている。

 

そう、ゲイバーは楽しむところなのだ。(普通のバーと同じ)

 

ここでゲイであることを公にしている人の中には、日常生活においてはそれを隠してストレートとして振る舞っている人もたくさんいる。


そんな人たちも、ここでなら自分らしく居られる。

ありのままに活き活きしていられる。

 

 

 

店員に、「君たちはストレート?」と聞かれた。

 

「はい、そうです」。私は答えた。

 

実際私は完全にストレートだ。

 

つまり、「生物学上の女性」以外に恋愛感情を抱いたことは一切ない。

 

 

 

ちなみに私は、「見た目とか雰囲気がゲイっぽい」と日本人に言われることがよくある。

 

高校時代は周りから恋愛に全く興味ないと思われていた。

 

その理由としてこれまで言われたことがあるのは、「顔つき」「体つき (筋肉質) 」「視線の送り方」「ジェスチャー」「ピアス」「小綺麗なところ」「まつ毛 (ちょっと長い) 」「所有物 (虹色のiPhoneカバー) 」などなど。

 

だが、違う。

恋愛対象になるのは、心も体も女性の人だけってことを念のため記しておく。

※性的指向の如何は問わない

 

 

 

それはさておき、

 

認知度が高まっている「LGBT」という言葉。

 

女性に性愛を抱く女性はレズビアン(L)、

男性に性愛を抱く男性はゲイ(G)、

男性にも女性にも性愛を抱く人はバイセクシャル(B)、

心と体の不一致を感じている人はトランスジェンダー(T)。

 

 

しかし、セクシャルマイノリティとは、そんなシンプルなもんじゃないらしい。

 

LGBTのシンボルは虹色だが、まあ、グラデーションのあるダイバーシティな感じということ。

ちなみに「LGBT先進国」タイには、18種類かそれ以上の性別があるという。

 

f:id:neoism:20180701123809j:plain

 

また、あまり知られていない「SOGI」というものがある。

Sexual Orientation and Gender Identity、つまり性的指向と性自認を意味する。

 

 

平たく言うと、

 

性的指向とは、どの性別が好きかということ。

ストレートの男が好き、レズビアンの女が好き、とか色々。

 

性自認とは、自分の心の性別のこと。

体は女でも心は男の人とか、どの性別をも自認しないXジェンダーとか、色々。

 

ここがゴッチャになって誤解している人は多い。もちろん私もかつてはそうだった。

 

 

 

性的指向一つとっても、それはグラデーションのようなもの。(性自認も然り)

 

1mの線があるとして、左端が完全に同性愛、右端が完全に異性愛とする。

 

世の中には、私のように右端いっぱいに位置する人もいるし、左端に位置する人もいる。

左から40cmのところにいる人もいれば、右から10cmのところにいる人もいる。

また、途中で変わる、というか気付くケースだってあるという。

 

まあ、二次元の図で語れるものではないだろうけれど、イメージはこんな感じ。

 

 

 

女装家の方の話によると、"オネエ"という言葉を人々は誤解しているとのことだった。

 

"オネエ"とは、本来は「オネエ言葉を話す人」という意味だったそうだ。

 

つまり、ストレートだろうが何だろうが、オネエ言葉を話す人はオネエだったと。

 

いわゆる女性っぽい話し方は威圧感がなくて柔和な感じがするから、好んで使われていたのだろう。

 

しかし昨今では、「ゲイや女装家=オネエ」という図式が一般的に認知されている。

 

メディアが視聴者からのウケをよくするために分かりやすく、ある意味乱暴な分類・表現をした結果、上の図式が出来上がったということらしい。

世の中、そういうモノが多いんだろうな。

 

 

また、ゲイであることを自認したときの心情についても語ってくれた。

 

その人が自分がゲイであることに気付いたのは中学3年のとき。

 

中学生はまだまだ視野が狭くて、残酷だ。

 

つまり、ゲイであることが周りに知れれば、奇異の目で見られてからかわれ、イジメられる可能性が高いのは否めない。

 

そういえば割と最近、一橋大学の院生が、友人にゲイであることをバラされたのを苦に自殺した事件なんてのもあった。

 

だから、必死に周りに気付かれない努力をしたそうだ。

 

興味もない一般的なアダルト本に目を通して、話を合わせたり...。

 

 

セクシャルマイノリティーの人の葛藤なんて考えたこともなかった。

 

当事者にしか分からない不安や苦しみがあるのだ。

 

辛いことが色々あったのだろうけど、今を生きたいように生きているその人は、何だか輝いているように思えた。

 

ちなみに、"ホモ"という言葉はよくからかいに使われるが、これは好ましくない表現だそうだ。

 

 

 

「男は、女はこういうものだ」という考えと同様に、「ゲイとはこういうものだ」という固定観念を持っている人は多い。

 

確かに、生物学や脳科学の観点からしても、傾向としては男女の違いは確実に存在する。

 


考えてもみれば分かる。

 

身体があれだけ違うのに、中身が全く同じなんて不自然だろう?

 

 

しかし、それはあくまで"一般的な傾向"だ。

 

万物に当てはまるわけではない。

 

 

私もそれまでは「ゲイは男と女の両方の性質を兼ね備えているから感性が高いのだろう」というイメージが何となくあった。

 

ちなみに、私が好きなイギリスの歌手ベスト3は、写真左から

 

f:id:neoism:20180701124047p:plain

 

Dead or Alive の Pete Burns、Culture Club の Boy George、Queen の Freddie Mercury

 

なのだが、彼らはなんと、三人ともゲイまたはバイセクシャルだ。

 

私はそのことを、彼らの魅力的な歌声や醸し出す雰囲気などにすっかり魅了されたあとに知った。

 

そうしたセクシャリティは、彼らの感性の根源の要素として機能していたのではないか、なんて漠然と思ったものだった。

 

 

しかし、その女装家の話を聞いてから、「ゲイだからこう」というものはナンセンスだと考えるようになった。(もちろんゲイ以外も。男性だからこう、トランスジェンダーだからこう、みたいなやつ)

 

「男と女」という枠組みの中にゲイがあるのではなく、男や女とゲイ(やその他の様々なセクシャリティ)は並列の関係にあるのではないか、とも考えるようになった。

 

感性の高い女がいればそうでもない女がいるように、感性の高いゲイがいればそうでもないゲイがいる。

 

傾向がどうだかはよく分からない。

 

が、色眼鏡で見てしまうことによって、生きづらさが生み出されてしまいやすくなるだろう。

 

何事もそうだが、個を見る姿勢が大切だ。

 

 

 

とは言いつつも、そのセクシャルマイノリティーの方たちと話していて感じたことがある。

 

彼ら彼女らは多かれ少なかれ悩んできたはずだ。

 

つまり、沢山の時間、自己と向き合ってきたことだろう。

 

故に、物事を深く考えている人の割合は、ストレートのそれよりは高いのではないだろうか、と。

 

それまで、セクシャルマイノリティーであることを公言している人たちと話したことはなかったが、私はこのとき様々な気付きを得ることができた。

 

 

 

 

そして、それから2ヶ月が経ち、10月。

 

東京に出てきたついでに大学の友人とクラブでパリピしようとしたものの、私が未成年であったために断念し、成り行きで再び二丁目の地を踏むことになった。

 

今度こそ、NEW SAZAEへ。

 

そして苦闘の末に遂に見つけた。なんと分かりにくいところにあるのか。

 

f:id:neoism:20180701122726j:plain

NEW SAZAE のドア



オープンと同時に入店し、古くからここで働くマスターと少し話した。

 

少しずつ人が増えてきた。

ここもミックスバーなので、客層は多様だ。

 

ファンキーなロングヘアの年配の方に背中を押されるカタチで、店内に流れる80年台ディスコソングの爆音に身を任せてひたすら踊った。

 

人が少ないし、最初は恥じらいの気持ちがあったが、その方による耳元への頻繁すぎるアドバイスのお陰もあって、後半は思いのままに動いた。(唾めっちゃ飛んできた)

 

 

その日はたまたまマスターの誕生日。

 

客はどんどん増えていき、普通の女性からゴッツイおじさん、筋肉質の女装家まで、幅広い年齢層多様なセクシャリティーに囲まれて、同じ空間を共有した。

 

その一体感は、何物にも代えがたい感覚だった。

 

私はダンスが苦手だったが、そのとき初めてダンスの喜びを知った。

 

 

ちなみに友人はゴッツイおじさんに冗談交じりに何度も股間を触られていた。(もちろん服の上から)

 

 

 


ゲイバーは何のためにあるのか。

 

f:id:neoism:20180701124835j:plain

テキトーに拾ってきた画像

 

ゲイバーは、先程も触れたように、彼らの息抜きの場であると同時に、出会いの場でもある。


一般的なバーだって同じく、出会いの場としての要素は必ずある。それと同じだ。

 

つまり、そのような場に、ストレートの人が行くのは基本的に望ましくないとも言える。

 

彼ら彼女らは出会いを求めているのに、出会いにならなくなる。

 

二丁目が有名になったことに伴う私たちのような観光目的の客の増加は、それを嫌ったゲイたちの二丁目離れを、もう何年も前から引き起こしてきたらしい。


余談だが、男に言い寄られる心配があまりないという理由で、女性客も増えているという。

 

池袋などに他のゲイタウンができるなど、かつてに比べれば勢いはないと聞くが、それでも何百もの店舗があり、ゲイタウンとして栄えていることは間違いない。


先述のように、あなたがセクシャルマイノリティーでない場合、それが二丁目を減速されることになってしまいかねないが、行く際には事前の予習が不可欠だと思う。マナーとも言えよう。

 

私も、一度に足を運んだ際は予習をしていたが、そのとき、もっとすべきだったと痛感した。

 

 

最後に一つ。

 

「ゲイ」と言えば「襲われる」というイメージを浮かべる人は結構多いと感じるが、言うまでもなく、アナタがストレートだとして、全ての異性を恋愛対象として見るはずがないのと同様に、全てのゲイの人が全ての男性を恋愛対象として見るはずがない。っていうのはちゃんと認識すべきだと思う。

 

 

 

▼その他記事

 

キャバクラでボーイのバイトをやったときに学んだことなど色々。

neoism.hatenablog.com

 

歌舞伎町の路上で寝落ちてしまい、起きたらバッグがなかった話。

neoism.hatenablog.com

 

 

記事が良かったら、下のボタンを一瞬ポチッとお願いします!

当ブログのランキングが上昇して嬉しくなります。 

 

 

 

 

 

 

クリックしていただけると励みになります(^^)

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(その他)へ
にほんブログ村

 

★Twitter、お気軽にフォローどうぞ!