南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

にんげんやめませんか?

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タイトルがアレですが、

「一緒にコカインやヘロインをやりませんか?」

という話ではありません。(安心してください、やってませんよ)

 

なお、以下の文章は、2017年5月に書いたものです。

 

 

雑誌編集バイトで痛感したこと

 

2017年、大学の広報誌編集のアルバイトをしていたときのこと。

 

前年や前々年の例に倣いながら、コンテンツを決めて、載せる写真を撮ったりデザインを考えたり原稿を集めたり、教授や編集会社の人と打ち合わせをしたりと、地道な作業が多いながら、5人の学生メンバーで色々考えてやっていたつもりだった。

 

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イメージです

 

あるとき、メンバーの1人が過去20年分くらいの広報誌を持ってきた。

 

目を通してみると、ここ数年の広報誌にはなかった様々なアイディアで溢れていた。

 

 

 

 

私は強い悔しさを覚えた。

焦りの感情もあった。

 

思考を停止していたことに気付いた。 

 

自分たちがやっていたのは、大したオリジナリティのない、過去の踏襲そのままでしかなかったことを悟った。

 

ただ過去のものを真似るだけなら、誰でもできる単純作業だ。

 

「敢えて自分たちが」この作業をやっている意味なんてまるでないと思い知った。

 

 

確かに、自分の中で編集委員での活動の優先順位はそう高くなかったから、考える時間なんて持てていなかったということもある。

 

 

また、5人の学生に加えて2人の教員と編集会社が関わり、さらに学類長(≓学科長)が決定権を握るこの編集活動では、自分の意のままに作ることはできないという現実もあった。

 

しかし、しっかりフラットに考えていこうという発想が欠如していたのは確かだ。

 

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無意識の無用な制約

 

「100のうち大枠の10から20だけ指定してもらって80から90くらいを任される」

 

或いは

 

「完全に100指定されて機械的な作業をする」

 

私にとってやりやすい作業はこの両者で、100全てを任されるのはやりにくいと感じる。

 

人間、ある程度の枠を与えられなければ何をすればいいのか分からなくなるものだ。

 

 

また、どちらがより魅力的かと言えば、紛れもなく前者だろう。

 

後者は頭を使わないので楽だが、如何に効率的に速く正しく作業を遂行するかだけが問題となる機械的作業であるため、創造の喜びはあまりない。

 

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この編集活動では、100のうち40-60くらいは決めることができるはずなのに、20-30くらいしか選択しようとしていなかった。

 

「選択できる」だなんて考えていなかった。

 

自ら見えない枠に閉じこもっていた。

 

自分自身に見えない制約をかけていた。

 

ある程度の制限はあっていいが、自分の責任で、自分の裁量で、創っていきたいと強く感じた。

 

 

 

期待値は自分で決める

 

 

人間、「周り」や「過去の事例」が10なら、せいぜい10や11くらいしか目指さないものだ。

 

同じ人間なのだから、過去の人や周りの人がこれくらいのパフォーマンスを発揮するのなら、自分もこれくらいだろうだなんて、無意識のうちに思い込んでしまっている自分がいた。

 

多くの人もそうだろうと思う。

 

  

だが、ここで過去や周りがどうだなんて気に留めず、20や30、或いは50や100を創り出すくらいの勢いでいけばいいのではないかー。

 

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その意味において、「自分は人間である」という意識を捨てることが大切である、と私は考えた。

 

 

圧倒的なものを生み出したいのなら、

 

途轍もない結果を打ち出したいのなら、

 

期待値は自分自身で決めればいい。

 

 

そもそも、カテゴライズという行為は、物事を考える上で便利で把握しやすいのだが、その反面、自由な思考や発想を制限するものにもなりうる。

 

ときにはカテゴライズに盲目的にならずに逐一判断していくことも大切だ。

 

その意味で、思考を停止してはいけない

 

無論、流されていることに特に感慨を覚えないのであれば話は別だが。

 

 

 

発想は環境で決まる

  

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かのジャック=マイヨールは、素潜り水深30m程度が人間の身体の限界だと科学的に考えられていた時代に、記録を次々と更新する。

 

そして、56歳にして105mの大記録を打ち立てた。

 

もし彼が「自分は人間だからこの程度が限界だ」などと思い込んでいたら、きっとその境地を目指すこともそこに達することもなかっただろう。

 

そして、そこまでの結果を出すことができたのは、彼にエンゾ=マイオルカというライバルがいたからこそだと思う。

 

「アイツがいけるのだから自分だってまだまだいける」

そんな思いは原動力になったに違いない。

 

 

 

言うまでもなく、周囲の環境はその者のパフォーマンスに大きな影響を与える。

周りが10なら自分も10前後でいいやと思ってしまうものだ。

いや、意識せずとも、そうなってしまうものだ。 

 

例えば現状において、通常どんな進学校でも、生徒は日本国内の大学に進学しようとする。

 

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しかし、もしクラスメイトにハーバード大学志望がいれば、「海外の大学に行くという発想」「アイツが行けるなら自分だって行けるかもしれないという発想」が生まれるかもしれない。

 

いなければ、現実の選択肢として考えることはまずない。

 

 

それと同じだ。

  

周りの環境によって見えない天井が無意識に形成され、己の発想や行動の質が規定される。

 

しかし、素晴らしい環境であるならば、環境はもちろんプラスに働く。

 

今いる場所を飛び出て異質な環境に身を置いたとき、あるものと感じていた天井が消え失せ、新たな可能性が目の前に開ける。

 

環境を変えるのが難しくても、書籍やネットなどを利用すれば擬似的に変えることは可能だろう。

 

自分より圧倒的な結果を出している人、圧倒的な行動をしている人に出逢えば、考えもしなかった行動の選択肢が現実味を帯びてくる。

 

 

別にそうした現状維持で自分は満足、というのならそれでいいかもしれないが、もっと視野を拡げて羽ばたいていく方が、人間らしくて素晴らしいと私は思うのだ。

 

何故なら生命は、常に進化してきた。

活動領域を拡げてきた。

未知なる領域に勇気を出して踏み入れてきた。

 

それはある程度は必要に迫られてのことかもしれないが、人間生来の好奇心に依るものも大きいはずだ。

 

 

だから、常にアンテナを高く張っていたい。

 

だから、凄い奴、不思議な奴と会っていきたい。

 

 

そして、自分自身、局所局所で自分に問いかけながら生きていきたい。

 

「それは圧倒的か。無用な枠を設定していないか」

 

と。

 

 

 

だから、私は、人間を辞める。

 

 

 

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......さて、ここまでは2017年の5月に書いたものだ。

 

そういうわけで、私は自らを有機物質と名乗ることが多い。 

つまり、可能性は無限大だ。

 

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結局、12月頃まで続いた編集活動だが、やはり広報誌が公的なものである以上は制約が多く、また他の事情も重なって、結局オリジナリティを存分に発揮することはできなかった。

しかし、より良いものが作れたとは自覚している。

 

その他諸々含め、まだまだ人間を辞めることはできていないけれど、このマインドは今後も持ち続けていたいし、事実、多少は実践もできている。

 

 

例えば、留学を開始して、スペイン語学習を本格的に開始して、単語を覚えることになったとき、私は1日100から200単語ずつくらい覚えるよう努めた。

 

単語暗記と言えば、1日5-10単語ずつ覚えるという人が多いように感じる。

事実、私より前に来ていたとある日本人留学生は、1日5単語ずつ覚えることを目標に定めていた。

 

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しかし、上に挙げた発想に基づき、「周りの奴が5単語や10単語ずつ覚えていくのなら、俺は100単語や200単語ずつ覚えていってやる」と考えることができた。

もちろん、大量に覚えるとなると工夫が必要になってくる。試行錯誤を繰り返しながら、覚えていった。

最近は、800-1000単語ずつ覚えたりもした。1週間経つ前に息切れになったが。

 

「1日にそんなに覚えられるの?」そう思う人は多いだろう。

「ちゃんと覚えられているはずがない」と。

 

 

だが、それこそ「無意識の中の無用な枠設定」なのだ。

 

事実、私は短時間集中で、使えるレベルになるほどにしっかり覚えている。

思い込みを捨てて、まずはやってみるのが大事ということだ。 

 

ちなみに、「自分は人間じゃないんだ」と思っていたら、何かおかしいと見なされるようなことをしたって、「だって俺、人間じゃないし」と心の中で自分を認めることができるから、勇気が出るし、行動力が促進される。

 

本当に人間を辞められるわけではない。

人間並みの睡眠時間も食事も必要なのは変わらない。

でも、心の持ちようが変われば、世界が広がる。発想は広がる。選択肢は広がる。大事なものが見える自分でいられる。

 

 

 

 

というわけで、皆さんも、人間辞めませんか?

 

 

 

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