南米留学放浪放言記

南米コロンビアのボゴタに留学する大学生が色々勝手にホザくブログ。

アナタには信仰が必要ですか?私が宗教を必要と感じない理由

 

現在の在住先であるコロンビアの国教はカトリック。

信者は人口の9割以上と言われている。

コロンビアに限らず、ラテンアメリカ諸国はカトリックが多い。

 

一方、日本人は無宗教の人が多いと言われている。 

皆さんは何か信仰がおありだろうか。

 

今回は「宗教」、特に「キリスト教」に関する意見を述べる。

なかなか長くなってしまったので、最後まで辿り着く人は稀であろう。

念のため、目次から気になるところだけに飛んでも大きな問題にはならない仕様にはしてある。

 

なお、私はクリスチャンではないので、キリスト教の知識は不充分であることはご承知願いたい。

 

 

 

私の宗教観

 

世の中には数多くの宗教が存在する。

キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、仏教、儒教、ゾロアスター教、天理教、オウム真理教...。

そして、私はその一部しか知らないし、内容もほとんど知らない。

 

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しかし、どんなものがあるにせよ、私自身に関して言うと、私には特定の信仰は不要だと考えている。

 

宗教は生きるべき道を人々に提示するが、生きる道なんて自分で切り拓くものだと思っている。

 

まだ途上とはいえ、自分の経験と思考を以て哲学を醸成できていると思うし、それが楽しい。

信仰がなくても、私は伸び伸びと自由に生きられる自信がある。

 

だから、これまでもキリスト教を中心に何度も勧誘されてきたが、何かに入信するつもりは全くない。(勧誘されやすい体質らしい)

 

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私は、宗教観を尋ねられれば、「不可知論」、または「自分の名前」を答えている。

 

不可知論とは、「神はいない」とする無神論に類する主義。

神の存在を肯定も否定もしないという、日和見主義的な考え方だ。

 

実際、この世界はあまりに上手く出来過ぎているとしか思えない。

数学というプログラム言語をもとに何か凄まじい存在によって作られた世界である可能性だってありえそうだ。

ならば、その存在こそがこの世界における「神」であろう。

 

必然的に、「じゃあ、その『神』を作った存在は何なのか、という話になるわけだが、それは分からない。

 

だから、知る可から不(しるべからず)、つまり「知ることができない」。

という一種の思考停止的発想である(と解釈している)。

 

 

なお、アニミズム的発想、つまり「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方」には若干影響を受けている自覚がある。

例えば、何か大切にしていたモノを傷つけてしまったときは、謝りたい気持ちになったりする。

 

 

 

宗教とは感情の産物

 

太古の昔から、宗教や信仰というものは存在する。

 

ここで、宗教の起源について、考えてみよう。

皆さんは、考えたことがあるだろうか。

私の考えは以下の通りだ。独自性などないと思っている。

 

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そもそも、昔の人たちは、現在一般に知られているような科学的な知識などほとんどないわけだ。

 

だから、「自分たちがなぜここにいるのか」や「雨や雷がなぜ発生するのか」なんて分からない、理解できない。

 

「分からない、理解できない」というのは、不安のタネとなる。

 

例えば、大学受験で不安になるのは、受かるか落ちるかが分からないからだ。

落ちると100%分かっていれば、将来を不安に思うことはあれども、試験に対して不安に思うことはない。

「1%でも受かる可能性があると思っているから」、或いは「1%でも落ちる可能性があると思っているから」、不安が生じる。

 

 

さて、自分たちに起こっている現象を分からなければ、理解できなければどうするか。

 

自分たちの出来る範囲で説明することを試みるだろう。

そうすることで不安を軽減し、安心するために。

「合理化」である。

人は合理的な生き物だ。だからここまで来られたと言える。

 

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「雨が降るのは天の恵みだ」「雷が鳴るのは神が怒っているからだ」などという風に、解釈を試みようとする。

 

それらを踏まえて、自分たちの力ではどうにも対抗できない自然というものに恐れをなして崇拝したり、様々な現象を司る人智を越えた存在を想像したりすることになる。

 

もちろんそれ以外にも色々あるだろうが、そのようにして「神」の概念は生まれ、信仰がなされ、宗教としてカタチ作られてゆく。

 

現象全てを理解できるのなら、そうはならなかっただろう。

理解できないから、解釈して安心するために、そうなるのだ。

 

平均寿命二,三十代、病気が蔓延し治療法も確立されておらず、戦乱や飢饉で明日を迎える確約の薄い、今よりも遙かに環境の厳しい時代にあっては尚更、苦しい思いをしながら生きている人が希望を持とうとして来世を想像して生きるだとか、大切な人が亡くなった悲しみを軽減するために見えない死後の世界を想像してその存在を願うことになるなんてことは、ごく当然の流れだったことだろう。

 

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だから、神だとか信仰だとかは、「不安」や「恐れ」などの感情がベースとなっているのだと考えている。

 

自然科学が発達した今日では、嘗て生きた人々が神という概念を用いて説明を試みた森羅万象を、「感情」ではなく科学的根拠に基づく「論理」によって説明している。

 

もちろん、全てを科学によって説明するには険しい道のりが待っているし、それが可能なのかどうかも分からない。 

 

 

 

全ては世界の捉え方の違い

 

前の項で言いたかったのは、宗教重視にせよ科学重視にせよ、「世界の捉え方」の違い、「世界を見る尺度」の違いに過ぎないということだ。

 

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キリスト教観に限らず、宗教の「導きに従う」という発想は、一種の「囚われ状態」に思える。

 

しかしだ、そもそも人は皆個々の価値観に従って生きている

だから、ことさら宗教に関してそのような感想を持つのもどうなのだろう、と思わないだろうか。

 

先に述べたように、宗教も科学も「世界の捉え方」という観点からすれば同じで、理性と感情のどちらが優位か、というだけの話。

 

 

「どちらが正しい」と干渉しあうのはお節介で、非のない相手を自分色に染めようとするのは傲慢でしかない。

 

私は宗教信仰(重視)か科学信仰(重視)のどちらかと言えば、多くの日本人のように科学信仰なわけだが、想像や空想を楽しめない人間にはなりたくないし、お互いに尊重しあって共存していけると考えている。

 

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そして、この流れから必然的に言えること。

 

それは、宗教というものは、一般的な考え方(政治的主義など)や各人の持つ個人的な思想や考え方というものと、横並びの存在であるということだ。

 

例えばこのブログには個人的な思想を沢山書き散らかしているが、それだって、まとめあげて体系作れば、一つの宗教たりえるだろう。

実際、そうやって様々な新興宗教が生まれている。紙一重の存在なのだ。

 

宗教であれ科学であれ個人的思想や欲求、価値観であれ、皆何かしらを拠り所にして生きていることに変わりはない。

ヒトは、何かを拠り所にせずしては生きられない生き物なのだ。

 

そして、個人的思想や価値観などというものも、生まれたときから身に付けているものであるはずはなく、結局は様々なものに影響を受ける中で化学反応を起こしながら築かれていくものにすぎない。

 

 

 

宗教とは平和的なもの

 

先に、私自身にはいわゆる宗教の信仰はない、少なくとも強くはないという話をした。

だが、かといって私は宗教というものやキリスト教を否定はしない。

マッチョにはなりたくないけどマッチョを否定しないのと同じだ。

 

実際、例えばキリスト教に救われたという人、キリスト教を通して似た価値観を共有するあたたかいコミュニティに出逢えた人、それによって幸福を感じている人を何人も見てきた。

 

だから、聖書を通して世界を捉えるという在り方も、全然アリだと思う。

 

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古くからの諺や故事成語には、世の中の定理とも言えるような普遍的真理や教訓が盛り込まれているわけだが、宗教の教義にもそういったものが多く、だから何も「世間的にクレイジーなこと」を言っているわけではない。 

 

基本的に宗教は平和的なものだ。

苦難に満ちた絶望の日々の中に生きる人であっても、信じれば心が楽になり、救われることだってあるだろう。

 

日本でも海外でも、教会には何度も足を踏み入れたことがあるが、そこにいた人たちは皆幸せそうな、安らかな表情をしているように感じた。


幸せになる人がいて、救われる人がいる。

そしてそれは一過性のものではない。

救いようのない現実もある世の中だからこそ、尚更それだけで存在価値がある。

 

 

だから、宗教から争いが生まれるのは哀しいことだし、偏見が多いことも然りだ。

 

言うまでもないが、世界では宗教の違いを背景に多くの争いが生じている。

 

そういった争いに加えて、オウム真理教や人民寺院、統一教会など、カルトと呼ばれる宗教団体による事件などが注目されたこともあり、特に宗教への精神的な馴染みが薄い日本人の間では、依然として宗教に対する偏見が強くなっている。

 

繰り返すが、重要なのは、宗教は基本的に本来平和なものであるということ。

でなければ世界の多くの人々の間で宗教というものが支持されることはなかろう。

そして、問題なのは、それを私利のためなどに歪曲して利用する人間、利用されてしまう人間であることは言うまでもない。

 

 

 

キリスト教に対する考え方

 

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宗教やキリスト教を否定はしないという話をした。

とはいえ、私自身はキリスト教の考え方自体はあまり好きではない

 

 

あるとき、友人に誘われて行った教会で聴いた賛美歌の歌詞において、牧師と書いて「かいぬし」と読ませていた。

 

(文字通りに受け取るのならば)私は誰かに飼われたくはない。

キリスト教の基本的な考え方に、"神の導き"というものがあるように思う。

しかし、そもそも神の導きに従うだとか神頼みなどという他人本位的姿勢は好きではない。

 

確かに、多くの信徒のように「導きみたいなもの」を感じることもあるが、そんなものは主観性の強い、都合の良い解釈だと解釈している。

 

私が109という数字を好み、街中で109をよく目にするのは、109を意識しているからであるのと同じように。

実際は107だって217だっていっぱいあるはずだ。

 

neoism.hatenablog.com

 

キリスト教が、世界で一番多くの人々から支持される、基本的に平和的な思想体系であることは分かっている。

しかし、「導き」という宗教全般に見られるであろう発想を抜きにしても、私自身はキリスト教的発想に対して、大きな違和感を抱いている。

それについて、ある体験をもとに次の項目で説明する。

 

 

 

あるクリスチャンとの対話

 

大学1年生の頃、キャンパス内でとある中国人クリスチャンに勧誘されたことがあった。(余談だが、筑波大学の芝で一人で座っていると、宗教勧誘に遭いやすいという話がある。孤独で悩みのある人とでも思われるのだろう。)

 

常にしかめっ面で、サングラスをかけたらその道の人にしか見えなさそうな彼はその何年も前に日本に留学に来て、孤独感に苛まれて辛い日々を送っていたとき、キリスト教に出会って救われたといい、今は毎日がハッピーだと語っていた。

 

だからそのハッピーを他の人に分けてあげたい、というのが、本人の語る彼の布教目的。彼は神学生でもあり、将来は牧師になりたいという。

 

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彼に激しく勧誘されたので、色々質問してみた。

そこで私は、違和感を覚えることになる。

以下、会話シーン。分かりやすくなるように編集を加えてある。

 


"あなたたちクリスチャンにとっての神とはイエスキリストのことですか"(私)

 

"そうです"(彼)

 

"イエスキリストは人間ではないのですか"

 

"イエスは神の子です。神の国から来ました"

 

"神の国とは何ですか"

 

"天国のことです。アダムとイブはそこで生まれました"

 

"いつ生まれたのですか"

 

"6000年ほど前のことです"

 

"彼らが人類の起源というわけですね"

 

"そうです"

 

"現代の科学では、人類の歴史は約600万年とされていますが"

 

"直接的な証拠はないです。猿から人間に進化したという人もいますが、その逆だとしてもおかしくないんです"

 

"クリスチャンは死んだらどうなるのですか"

 

"クリスチャンは死んだら天国に行きます"

 

"天国に行って何をするのですか"

 

"神を愛することに喜びを覚える日々を送ります"

 

"天国に不幸なことはないのですか"

 

"ありません"

 

"ということは格差もないのですね"

 

"ありません"

 

"では、何か目的を持って努力しても、報われないということですね"

 

"神に祈ることがその世界における人間の目的です。それが幸せなのです"

 

 

 

なるほど。

各人がやりたいことをやるというのではなく、全員が同じカタチであることを望まれるということか。

 

 

...そんなの絶対面白くないでしょ。

 

 

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格差という言葉は、常にマイナスイメージばかりが付いて回るものだ。

 

しかし、本当に格差がなければ、そもそも成長という概念はないということだ。

 

なくすべきは「理不尽な格差」であって、格差があることはごく自然なことではないか。

 

「皆幸せ」というのも、解し難い。

 

一見耳障りの良い言葉に聞こえるが、実際皆が皆幸せだったらどうだろうか。

 

絶対面白くない。

 

そもそも皆がずっとハッピーなら、幸福という概念は消滅するであろう。

 

人生、山あればこそ谷があり、谷あればこそ山がある。

 

(もちろん苦しいことばかりでは問題だが)苦難や不幸も含めて人生の醍醐味だ

 

 

もちろん、各宗派や個人によって、教義の解釈は大きく異なることだろうし、私の解釈が不充分である可能性だって普通にある。

 

しかし、少なくとも彼の語った「神の国」は、「それって幸せなの??」と思わざるを得ない世界としか思えなかった。

 

 

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イスラム圏を見てほしい。

 

地域差はあれど、そこは基本的に男尊女卑の世界で、女性の持つ権利は男性に比べてかなり制限されている。

 

肌を露出してはいけなかったり、異性に触れてはいけなかったりと、厳しい戒律がある。

異性と電話した妹をその場で殺害した男性が、名誉殺人という扱いを受けていたこともあった。

 

 

もちろん、彼らの宗教観を外野から見て否定するのは浅はかな行為かもしれないし、一括りに出来たものでもないことは承知している。

 

しかし、イスラム圏、特に戒律の厳しい中東地域における多くの国の国民の「主観的幸福度」が軒並み低いことを考えれば、やはりこれは「人間らしくない」と言わざるを得ないだろう。

 

「主観的幸福感」と「寛容さ」には大きな因果関係があると言われている。

 

 

 そもそも、各世界的宗教が生まれた頃と現在とでは、社会情勢は大きく異なる。

形骸化している教えは多いことだろう。

 

また、権力者によって都合の良い解釈がなされ、本来の教義がねじ曲げられているという側面は、キリスト教、イスラム教、仏教はじめ多くの宗教で見られる。

 

 

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宗教とは、平和的なものと述べた。

つまり、市民の幸福のために存在して然るべき代物なのである。

 

だからこそ、

「宗教の本質を見失ってはいないか」

そう思わざるを得ない。

 

  

私自身の宗教観に話が戻るが、宗教などという人が作った考えの中に捕らわれて生きるのは息苦しく、思考停止に陥り自由な生き方・発想が制限されるのではないか。

そして、信じた結果、何かが上手くいかなければ、その宗教やら教えやらを恨むことになるよりも、自分を信じて、それで上手くいかなければ全て自分に責任があると考えた方が建設的ではなかろうか。まあこれは一つの例ではあるけれど。

 

「人じゃなく神が作ったんだ」という人もいるかもしれないが、例えば仏教一つ取っても、仏典の解釈によって数多の宗派に分かれていることからも、もはやそれは基本的に「人間が考えたもの」と言っていいだろう。

 

 

何度も述べてきたように、一様に悪いとは言わない。

何事も付き合い方が大事であるという話だ。

 

誰のものでもない自分の人生を生きるためには、一歩立ち止まり、自分にとって何が重要なのか、柔軟に考えて行動していくべきだろう。

 

 

 

P.C.

 

長い文章をここまで読んでいただけたのならありがとうございます。

 

宗教に関する知識があまり多くない中での主張であるゆえ、おかしい点もあるかもしれない。

何か気付いた方は、指摘していただけると感謝する。

 

なお、旧約聖書は一度読んでみようと思っている。

世界一のベストセラーであるし、宗教という精神的なものが、世界の政治や経済、文化などに与える影響はかなりのものだろう。

その精神世界は、簡単に理解できるようなものではなく、奥の深いものであるに違いない。

 

 

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